自分が親になれるのか、このまま親でいて良いのか不安でした
虐待されて育ったACは子どもを持たないという選択をする方もいます。
物理的に虐待の連鎖を断ち切るためです。
しかし私は、親との確執が分かっていても、子どもを持たないという選択はできませんでした。
だからといって、子どもが得意だったわけではなく、何をするか分からない子どもは、どちらかというと苦手でした。
親になるという不安
先日、長男を妊娠中の日記を発見しました。
産婦人科でもらったエコー写真を貼ったり、妊娠中の感じたことや思ったことなど、あれこれを色々と書いてました。
妊娠中の不安
長男を妊娠中の私の感情を一言で言うと、『不安』。
これにつきます。
長男の妊娠前に2回ほど流産しているので、単純に妊娠継続に関する不安もありました。
それと、私の母が早期胎盤剥離で妹が産声を上げることはなかった、という事も少なからず影響していたように思います。
流産や死産への不安もありますが、妊娠後期になると、それ以上に自分が母親としてちゃんとやっていけるのか、自分は母親になる資格はないのではないかという不安が大きかったです。
出産後も続く不安
出産してからも、初めての育児の中で、ふとした瞬間に不安は訪れます。
全く思い通りにならない子どもや、思うようにできない家事、上手くできない自分に腹を立てる自分…。
良かれと思って放たれた助言…。
正解のない問題に向き合う日々…。
成長とともに明らかになった発達障害…。
自分不信
不安が増すのは、自分を信じられないというのも大きな原因の一つです。
自分はずっと親になってはいけないんじゃないかと思っていました。
このお腹の中に居る子の親には相応しくない。
マタニティブルーだったと言ってしまえばそれまでですが、ACである私は、自分が親になったら子どもが不幸になるのではないかと、ずっと心配でした。
親になった実感
いざ長男が産まれて、さぞ感動するかと思いきや、初対面のわが子に対する感情は、ただただ不思議でした。
スピード出産ではありましたが、出産の苦しさが終わり、やっと出会えた子どもに感動の涙が自然と溢れるのかと思っていましたが、それも個人差があるようです。
その当時の私は、自分は感動の少ない人間なのではないかと思いましたし、自然と溢れる子どもへの愛情というのもあまり感じられず、情の薄い人間なのかと自分の事が心配になりました。
やはり自分は親になるべきではなかったのではないかと…。
気付かないふり
そんな薄情な人間であると気付かれてはいけないと、なんとなく、自分の感情もずっとごまかしていました。
私は親になったんだから、子どもの事はかわいいし、大好きなんだと…。
実は実感なんてもっていなかったのに…。
不安や自分の今を受け入れる
実際、長男しかいない頃は、上に書いたようにずっと自分が親であることが不思議であり、また溢れるような愛情が湧いてこないことに、自分で自分にがっかりしていました。
しかし、長女が産まれ、二度目の乳児の育児は慣れがあり、かわいいと思える余裕が生まれました。
さらに、3人目の次男が誕生すると、育児全体に経験したことが増え、また3人も子どもがいることで完璧にできないのは当たり前であると思えるようになり、それも心の余裕に繋がっていきました。
良くも悪くもありのままの自分で居られるようになりました。
ちょうどそんな頃に長男のASDの診断が確定し、冷静に受け止められたことは良かったなと思っています。
同時にASDの子ども達に対する接し方が身に付き、子どもの言動には全て理由があり、その理由もだいたい分かるようになってきたことで、自分の子どもはもちろん、子ども全体に対しての苦手意識も無くなり、逆に子どものかわいさを感じられるようになりました。
本心から子どもとのふれあいを楽しみ、愛情を感じ、さらに年頃の長男へのスキンシップは控えるようにしないと…と逆に悩ましい問題を抱えるようになりました。
まとめ
感情は個人差があり、子どもの性格によっては、なかなか親として対応が難しかったり、子どもも自分もイライラしたり…一筋縄ではいかない事も多いと思います。
絶対子どもを愛さないと!と焦る気持ちは分かりますが、自分の本当の感情を見つめ、無理しなくてもいいのではないかなと思います。
自分を追い詰めてしまうと、それ以上につらくなってしまうので。
また、発達障害のお子さんの育児はより困難な事が多く、アスペルガー症候群のお子さんを持つお母さんの中には、カサンドラ症候群になってしまう方もいたりします。
定型発達のお子さんの育児よりもより大変であり、虐待サバイバーであることとダブルの苦しみを持つことになります。
母である前に1人の人間です。
自分を大切にする時間も大切にしてほしいと思います。
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