HSCは免罪符になるのか
最近わりと目にするようになった「HSC(ひといちばい敏感な子)」という言葉ですが、最近危うさを感じています。
HSCに関しては、以前も記事に書いたことがありますので、そちらも良かったら。
上の記事では、HSCの定義と発達障害との違いを疑問視する私の考えを述べています。
HSCという言葉に救われたい
最近、気になっているのはその言葉の使われ方です。
繊細な子ども達、という言葉の略称として用いるなら理解できますが、あたかも新たなカテゴリーとしてASDなどと同列に語られる事に疑問を感じています。
以前の記事でも書きましたが、HSCは医学的な定義はなく、人間の性格や特徴の一つです。
きちんと意味を理解して使用している方も居ますが、HSCは発達障害とは違うと言い切ってしまうような記事やコメントなども散見されます。
その発言の裏には発達障害とは違うと思いたい…という気持ちが見え隠れしているように感じます。
不登校の子どもには繊細な子が多い
私自身、フリースクールで不登校の子ども達と接しているので、原因不明の不登校があることや、不明といいつつも、そういった繊細さが不登校の要因になっているのも分かっています。
しかし、今の学校ではHSCだからといって受けられる特別なサポートも支援の先生も居ません。
「繊細な子」というのは単なる性格に過ぎないからです。
「配慮が必要」という言葉が意味する事
親ならば、子どもが困っていたら助けたいと思いますし、学校で困るような事があるなら、支援をしてほしいと思います。
実際、最近の教育現場では「特別支援教育」と言って、子ども達一人ひとりに合った教育を目指しているようです。
わが家の子ども達が通う小学校の入学説明会の資料には必ず載っています。
ですが、その環境は充分ではありません。
一人の担任の先生が30人くらいの児童や生徒を見なければならないのに、きめ細やかな指導は難しいです。
長男が普通学級に在籍している間、嫌というほど感じました。
学校の配慮には限界がある
なぜ限界があるのかといえば、予算も人員も足りないからです。
わが家の子ども達が通う小学校に居る普通学級の支援員は、全学年合わせて1人です。
副担任は居ません。
特別支援学級の支援員ですら足りているとは言い難い状況ですので、当然の結果であるとは思います。
障害か障害でないかは重要ではない
「うちの子はHSCであって、発達障害とは違うから支援は必要ない。」というのは親のエゴでは?と思います。
大事なのは、子どもがどれだけ困っているかではないでしょうか?
学校に行くことが全てではありませんが、経済的にも精神的にも、今の日本の現状ではかなり厳しいです。
もし、わが家の子どもをフリースクールに通わせる…ということになったら、金銭的にはかなり厳しくなるだろうなと思っています。
「HSCだから、繊細な子どもだから、そこに配慮して子育てをする」という事は必要で大事な事ですが、「HSCだから」というフィルターを通してしまうことで、見えないところがないように、それだけを願っています。
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