不登校を回避するためにしたこと(わが家の場合)

学校
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わが家にも不登校の危機がありました

以前、不登校についての記事を書きました。

そこでは、不登校と学びの多様性について書きましたが、親としては正直なところ、学校に行けるなら行って欲しいと思うのが本音です。

親だってつらい

これは不登校のお子さんたちを否定するわけでは無く、親も一人の人間なので、息抜きする時間くらい欲しいだろうという、人間としての権利の話です。

不登校になっても学校の代わりとなるようなフリースクールに通えたり、不登校特例校に入学できたりすれば問題ないと思いますが、前回の記事でも紹介したように、経済的な問題やそもそも近くに施設が無い場合、ホームエデュケーションを選択せざるを得ません。

しかし、いくら子どものためとはいえ、親だっていつも聖人君子ではいられません。

そして、学校に行かなくても降りかかる進学の問題…。

できれば対処は不登校になる前から

実際に不登校になってしまってからでは、対処は難しい場合が多いです。

もちろん、不登校の原因が「いじめ」などの場合は、学区外の学校に転校するなど対応策がありますが、以前の記事でも紹介したように、明らかな原因は分からないケースの方が多いのが実情です。

その場合、義務教育の期間に学区外の学校への転校は難しく、具体的な対応策も取れずにますます学校に行けなくなってしまいます。

わが家の長男の場合

わが家の長男の場合、年長さんの時に自閉スペクトラム症(ASD)と診断されましたが、お友達を傷つけるような他害や勉強の遅れが無いことから、小学校は通常学級からのスタートとなりました。

しかし、残念ながら長男の最初の担任の先生は、優しい先生でしたが、発達障害、特にアスペルガータイプのような知的に遅れのないタイプの障害に関して、なかなか理解できないようでした。

登校の負担を減らす

入学早々インフルエンザに罹患したこともあり、間もなく長男は登校班で歩いての登校することができなくなります。

もちろん、親が一緒に歩いて登校班に付いていくことも考えましたが、歩いて登校班で行くことよりも、少しでも長男の負担を軽くする事を優先しました。

そこで、どうしたら登校できるようになるか、負担が減るか、長男と話し合いました。
また、それが実現可能か学校とも話し合いました。

その結果、朝、みんなよりも先に教室に居たいという事で、昇降口が開く20分ほど前に送っていきました。
1年生の教室は一階だったので、教室に直接入れる出入口を開けてもらっていました。

着替えの負担を減らす

毎朝、私服から体操着に着替えをするのですが、朝の着替えがスムーズにいかない事があると、一日中着替えられないので、私服を持っていき体操着で登校し、下校の際には私服に着替えて帰ってきていました。

着替えに関しては、人前で下着姿になる恥ずかしさもあったようで、より目立つ朝の着替えは抵抗があったようです。
私服に着替える際は目立たないように、倉庫などで着替えさせてもらっていました。

授業中の逃げ場所を作る

ASDの長男ですがADHD(注意欠如・多動症)の特性はないので、授業中の衝動的な立ち歩きはありませんが、納得できない事や受け入れられない事があると、耐えきれず教室に居られなくなることがありました。

長男の場合、相手の気持ちや考えを察してしまい、自分の事を先生が理解できていない事が分かって、より学校に拒否反応を持ってしまった事もありました。
それが後々、体育倉庫に合った竹馬を学校の敷地外に投げるという暴挙につながりました。

なので学校とも話し合い、無理やり教室に居させるのではなく、辛かったら廊下のベンチで本を読んでも良いし保健室で休憩しても良いなど、長男の居場所づくりをしました。

その結果

朝の登校と着替えは、長男が小学校3年生まで続きました。
授業中の離席に関しては、2年生の時の非常に理解のある先生の時に改善しましたが、3年生の時の少々理解不足だった先生では再び悪化しました。

3年生の時の先生も優しく一生懸命な先生でしたが、繊細な長男とは嚙み合わず、結果4年生からは長男の心を保護するために特別支援学級の情緒級へ移ることになりました。

情緒級へ移ってからしばらくは、長男の自己肯定感が育ってくるまで、少々不安定な時期もありましたが、担任の先生に恵まれ、心の落ち着きを取り戻して、長男本来の優しい性格が多くみられるようになってきます。

心が安定してくると、まず着替えができるようなり、次第に朝も登校班で登校できるようになっていきました。
5年生になると問題なく登校班で登校し、6年生では登校班の班長も経験しました。

6年生では、中学入学と同時に通常学級に戻る事を考え、ほとんどの授業を交流学級で過ごしていましたし、授業のノートを取ったり、テストもほかの児童と同じように行っていました。

まとめ

小学校1年生の4月は、登校班の集合場所で頑として動かず、担任の先生から何度も呼び出され、病院の先生にも学校に電話してもらい、まさに心折れる日々でした。

このまま学校行かなくなっちゃうのかなと思った事も何度もありましたし、それも楽で良いかなと思う事もありました。

それでも、長男が頑張ているうちは、私も頑張ろうと思って頑張ってきました。
辛いことがあるなら、少しでも良くなるように学校とも話し合い、助けてもらえるならどんどん相談しようと、病院や市の臨床心理士に何度も相談しました。

もちろん発達障害だからできたこともあると思いますが、市の臨床心理士の先生には診断が無くても相談できます。

また、不登校になってしまっても、私のお手伝いしているフリースクールでは、フリースクールに通うようになったことで、逆に学校に通う事ができるようになったお子さんも居ます。

学校だけが全てではないですが、集団で過ごす事で学べる事や、学校だからできる体験もあるので、今はあの時頑張ってよかったと思っています。

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