あまり気付かれなくても特性はあるんです
私自身、発達障害なんだろうなと思っています。
でも、子どもの頃にそんなに困っていたかな?と言われると、困ってはいたんですが、困っていた事が分かっていなかったと思います。
昔はそういう子普通にクラスにいたよね?
うちの子発達障害なんですってカミングアウトすると、結構こう言ってくれる人がいます。
確かにそうなのですが、実はちょっとモヤモヤするところもあります。
そんなに気にすることないよと言ってくれているんだと思いますが、実際に親も子どももやはり苦労があるので、やはり当事者にとっては気にすることなのです。
本当は生きづらさを感じているのです
発達障害者は当然のことながら、発達障害である自分の感性が当たり前であって、普通の人の感覚は分かりません。
発達障害児自身がその事に気付けるかといえば、気付けないと思います。
感覚の違い
有名な話で、感覚過敏でシャワーの水圧さえ激痛に感じる人が、世の中の人はこんな激痛に耐えて毎日シャワーがあびられるなんて、なんて忍耐強いんだと話していたと言います。
そのような例を裏付けるような調査結果がありましたのでご紹介します。
過敏であることもあれば逆に鈍麻であることもあります。
お友達のお子さんは、ASDでADHD(注意欠如・多動症)と診断されていますが、嗅覚が鈍くほとんど臭いが分からないそうです。
実際に、私が非常に臭いと思った臭いも全く感じないと言っていました。
命に敏感
いわゆる感覚とはちょっと違うので別にしてみましたが、病院で言われたのが、「命に敏感」という言葉でした。
お子さんによってまた全然違うと思うのですが、わが家の長男と次男の場合は命に敏感です。
具体的には、転んだ時の傷の痛みであったり、注射の針を刺す痛みだったり、そういう事に対してすごく敏感になる時期があります。
つねったりする痛みには感じない、出血などを伴うような事に限られている気がします。
年齢的には6歳から8歳ころの一時期なのですが、この頃は予防接種も逃げようとして大変でした。
私自身も丁度その頃は予防接種でかなりの大立ち回りをし、連れて行ってくれた祖母を大層困らせた記憶があります。
人との距離感や相手の気持ち
子どもの頃は、相手との丁度良い距離感が分かりません。
健常児であればなんとなく分かる加減も、なんとなく察せられる距離感も、試してみないと判断できなかったり、試して失敗したりして学んでいきます。
相手の気持ちもなかなか分かりにくく、NGワードをポロっと言ってしまう事もあります。
距離感に関しては、経験で徐々に学んでいき、自分にとっても相手にとっても丁度良い距離感が分かるようになります。
長男は友人とあまり近づき過ぎるのは苦手なようで、拒絶もしないけれど、近づき過ぎない距離感を維持しているようです。
私自身も小学生の頃、軽い気持ちでNGワードを言ってしまい、友人を泣かせてしまった経験があります。
今思えば、その子は苦手なところを気にしていたのに、傷に塩を塗るような事言ってしまったかなぁと分かりますが、他者の考えている事を想像する力が若干弱いのだろうとは思います。
だからといって傷つけても全然平気なのではなく、発達障害児自身も上手くできない自分に傷ついている事もあるのです。
良く一人脳内反省会が開かれます。
まとめ
今、わが家の子ども達が出かけた先で、すぐに発達障害だと分かる人は少ないと思います。
色々な事を経験し、自分に自信が付き、長男はかなり自己肯定感が育ちました。
すると、不安からくる癇癪なども無くなり、困った特性は目立ちません。
お世話になった先生方のおかげで、また本人の努力もあり、長男はかなり健常児の世界に適応できるようになりました。
しかし、感覚に関しては外見だけ見ても全く分からないので、実際に本人に聞いてみないと分かりませんし、突発的なアクシデントに弱いところや、上手くいかない時の自分を責める特性も無くなりはしません。
分かりにくいから大丈夫なのではなく、努力をして適応しているという事も分かってもらいたいなと思います。
*無理は禁物です。
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