今でこそ発達障害も子ども達の特性も理解しているつもりですが、最初から全て分かっている…なんてことは全くなく。
気付くまでには…いや、気付いてからも紆余曲折しながらここまでやってきました。
そんな中ら印象深かった出来事を紹介していきたいと思います。
共感してもらえたら、もしくは上には上がいると思ってもらえたらいいかなと。
初めての○○会
発達障害児にとって、もっとも精神的苦痛が大きそうな行事…。
それは運動会です。
3歳で幼稚園へ入園し、年少・年中・年長と幼稚園での運動会は3回ありました。
中でも初めての運動会は、長男にとっては大きな挑戦であり、私たち親にとっては試練の運動会となりました。
ダンスは…
年少さんの時の初めての運動会は、ある意味問題だらけで、今では良い思い出です(;一_一)。
準備運動代わりのダンスで最初の事件が起きました。
THE 棒立ち。
結局、運動会で披露するほとんどのダンスは棒立ちでした。
しかし、それもかわいいものです。
続く徒競走。
忘れらない徒競走
年少さんはゴールで担任の先生が待っていて、みんな先生に向かって走っていきます。
その後ろで保護者はビデオやカメラを構えて、子どもが走ってくる雄姿をカメラに収めます。
私たちも長男が走ってゴールしてくるのを待っていました。
笛の音と同時にスタートした後、ゴールを目指して走っていたはずが…。
大きく弧を描いて進行方向から90度向きが変わったところで、なんとも言えない絶望感を感じました。
先生によって起動修正され、無事に?担任の先生の元へゴールしましたが、周囲の温かい笑いの中で、私たち夫婦は言い知れない焦りと恥ずかしさを感じていました。
「できた」を大事に
事件はありましたが、もちろんできたこともあります。
徒競走で名前を呼ばれて、手を上げて返事をしたり、年少さんの種目や親子競技は頑張ってやり遂げたり、運動会の間先生の指示に従って、移動したり順番を待ったり…。
今思えば大成功で、本当によく頑張っていたなと思います。
当時は色々と思うところもありましたが(苦笑)。
何も知らなかったけど、責めなかった自分も褒めてあげたい
色々学んだ今と比べて、当時の対応はどうだったかなと思いますが、できなかった事は置いておいて、できた事を褒めてあげられていた当時の自分たちの判断は正しかったと思います。
「自分は自分、この子はこの子。それで良いんだ。」
という育児方針で本当に良かったと思っています。
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