大人の発達障害とは

ASDの特性
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グレーゾーンとして生きている人達

タイトルに書いた「大人の発達障害」。
よく言われていますが、不思議な感じもします。
大人になってから突然、発達障害になる訳ではないからです。

子どもの頃は気付かれなかっただけ

前回、感覚的な発達障害の特性の記事を書きました。

感覚の事や、距離感の事、これらの困りごとは、実際に別の形で表現されないと、周囲の人には気付かれない事です。

運動会のピストルの音が苦手で逃げ出してしまったり、体育館で行われる全校集会のザワザワとした音に耐えられず中に入れなかったり、臭いや食感が原因で給食を食べられなかったり、誰に怒りが向けられているのか分からず自分も説教の対象だと勘違いして飛び出したり…。

つまり、これくらい極端でないと分かってもらえないですし、多少感覚が敏感で辛さを感じていたとしても、当然その感覚が当たり前だと思っている本人も気付きません。

中途半端な情報ってあまりないです

良く様々な発達障害の診断基準やチェックシート、特徴が紹介されていたりしますが、特に幼児期の特徴は極端な物が多く、そこまで傾向の強くない子は当てはまらなかったりします。

逆さバイバイやクレーン現象などは有名ですが、どちらもわが家の子ども達はやりませんでしたし、人見知りや後追いもありました。

幼児期のASDの特徴として紹介されるることが多いものの中で、長男に当てはまっていたなと思える事は、上のような室内で遊ぶ車のおもちゃを倒して、タイヤだけくるくる回していた事と、競争や勝負に負けると癇癪を起す事でしょうか。

だからといって発達障害でないことはない

勝負に負けて悔しくて癇癪を起す子は定型発達の子どもにもいるでしょうが、切り替えが困難なところはASDの特徴でしょう。
しかし、そういった特徴も、徐々に経験で負けても大したことは無いと分かってくると、小学生高学年になる頃にはある程度感情をコントロールできるようになる子も多いです。

上で書いたような感覚的な特性も、長く生活するうちに対処方法を見つけたり、または感覚が鈍くなって、日常生活を送る上では困らなくなります。

例えば、私は嗅覚が敏感なところがあり、車に乗っていて外気導入の状態だと排気ガスの臭いが気になって気持ち悪くなってしましますが、内気循環にして対処すればよいのです。

診断の必要性

発達障害の特性があるからといって、必ずしも診断してもらわなければならないとは、私は思っていません。

困っているか困っていないか

本人がどれほどの困り感を抱えているかによって、診断の必要性は変わってくると思います。

わが家では長男と次男はASDの特性があり精神的に繊細なので、学校生活を送るうえで、十分なサポートが必要であると考えたので、発達検査を受けました。
しかし、長女はASDの特性は少しありますし、小学校低学年の頃は場面緘黙もありましたが、精神的な強さがあり自己肯定感が高く、学校での困り感はありません。

自己肯定感と自己効力感

幼児期からすぐに分かるような特性があり、家庭や集団生活の場で困り感がある場合は、早期に発見し適切なサポートを受ける必要がありますが、そうでない場合は様子を見ても良いと思います。

特性があっても本人が困っていなければ特に受診の必要性は無いと思います。
もちろん、子どもの障害を認めたくないから受診しないという事では困りますが、一番身近で一番子どもが信頼している親だから、分かることもたくさんあります。

しかし、その子その子のもつ特性を理解して必要な声掛けやサポートができないと、自己肯定感が育ちません。
自己肯定感が育たないと二次障害の可能性が高くなります。

長女の場合も、進級後一番最初の連絡帳では、担任の先生に長女の特性と困ったときのサポートを必ずお願いしています。
自分からは言いに行けないので、長女が困っていたら、先生の方から声掛けしてもらえるように、また授業中もなかなか発言できない旨なども伝えています。

無理をさせずスモールステップで成功体験を積むことで、少しずつ自信が育ち、自己肯定感や自己効力感が育っていくと考えています。

つまり大人の発達障害って

環境が変わって困るようになっただけとも言えます。

子どもの頃は受け身で良かった事が、自分で考え自分で能動的に行動しなければならなくなったり、親や学校の先生などにお膳立てしてもらってやっていたことを、自分で全てやらなければならなくなります。
また、それが仕事となると、売り上げなど業績に直接繋がったり、他者への責任も出てきます。

特に日本の学校は先生から教えてもらう受け身の授業が多いですし、学校行事も安全面や衛生面などを考慮すると、完全に子どもの自主性に任せるという事はできません。
圧倒的に生きる力を学ぶ場が少ないと感じています。

また、特性に気付かれずに過ごしてきた場合、できることに目を向けられ、それが基準になってしまうと、苦手な事を努力不足だと言われることも多く、自己肯定感が育ちにくい環境であることも多いです。

特性によるミスがあったとき、自分でも努力が足りないと落ち込んだり、自分はダメな人間なんだと否定的になります。
その結果、二次障害を引き起こし、大人になってから発達障害と分かるというケースが多いようです。

まとめ

よく、「若い人は言われたことしかできない。」という声を聞くことがありますが、そういう風にしか学んでこなかったという事も大きな理由ではないでしょうか。

特に発達障害の子ども達は、ゴールに向かうアプローチの仕方を1種類しか学べないと、そこから応用して別のルートを見つけるという事は困難な子が多いです。
何種類か示し、いくつかのルートや方法を学び、情報を蓄積することで、やっと応用できるようになります。

そして、そういった学習方法は発達障害の子ども達だけではなく、健常児の学びも豊かにしてくれるものだと思います。

いずれは、大人の発達障害という言葉はなくなり、誰もが自分の特性や個性を理解し、自分に合ったより良い方法を見つけられる世の中になって欲しいと思っています。

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